学部時代は東工大すずかけ台キャンパスの北條先生が博士号をとられた某研究室にて某ゴム企業との共同研究に携わっており、生分解性高分子と各種ゴムを混ぜたものを分解する実験、固体NMR, IR, DSC,X線回折などによる物性評価や引張り試験などの機械特性評価などを行うことで相溶性を向上させる研究をやっていました。 その頃はITバブルの余波があった時代で、ITベンチャーが高額自給バイトを集めていたこともあり、学部1年からプログラミングバイトをやりはじめて、稼いだ金で海外旅行に行ったりしてました。その時点では卒業したら何かしたいという気持ちがあった訳ではありません。なんとなく化学・バイオが流行りそうだから関係した仕事でもやろうかなーと考えていた程度だったと記憶しています。 学部卒業後、視野を広めるべく別の研究もやってみたくなり、東大生産研究所の畑中教授の研究室に移りました。修士課程の最初の半年は有機合成などもやっていましたが、実験が下手なのとコンピュータを触るのが好きだったこともあり、物理化学や計算化学が専門の北條講師(今は准教授)のところに移って計算・理論メインにシフトしました。 研究の内容はテラヘルツ領域のスペクトルシミュレーションを目指して、水素結合をバネと見立てて独自に考えた力場に対して主にGaussianというデファクトの量子化学計算ソフトを使ってパラメータを決め、Fortranでスクラッチからコーディングしたフォノン計算(振動、熱)のプログラムに取り入れて超分子の低分子ライブラリに対してシミュレーションし、低周波領域の振動メカニズムと由来を解析するというものでした。 学部・修士時代に色んな分野の1〜2週間程度のインターンシップ(三菱重工、オリンパス、東京エレクトロン、ボストンコンサルティング、某投資銀行 etc.)やお勉強系セミナーに多数参加していたのですが、大企業の中では歯車の一人としてしか感じられなかったので、大企業の就職には興味がもてませんでした。 学部時代にアルバイトをやっていたITベンチャーの方が面白いと思ったのと、研究していた化学・バイオも面白いと思っていたので、どちらも生かせる化学・バイオ系ベンチャー企業に新卒で就職し1年ほどガムシャラに働きました。 そのときに個性の強い社長と先輩達とのいざこざがあっただけでなく、ビジネスモデルが変えられず会社経営が悪くなってきた時に色々な新規事業を提案したもののすべて一言ではねつけられた経験から、大企業でなくても結局一従業員では限界があるのだなと気づきました。また、少しだけ転職活動をして所詮どこにいっても従業員である限り根本的に何も変わらないと感じました。 そこで、最悪プログラムが作れればアルバイトでも食っていけるという経験もあったので、ソフト開発しながら何をするか探そうというざっくりなノリで、修士課程を修了した翌年の2008年1月に自分の貯金で会社を作りました。いわゆる事業計画のようなものがあったわけではないので、ソフトが作れること、独身で最悪給料なしでもやっていけることだけが強みでした。計画性のない起業でしたが、さすがに1人ではやらず、会社を辞めて家でオンラインカジノのハッキングをしていた地球惑星物理専攻終了の同級生の友人を、自作ボットのアカウントを止められて落ち込んでいたタイミングで巻き込みました。二人で100万円ずつ出して200万円の資本金でスタートしました。 今でこそ強みや差別化などを考えて事業戦略を立てますが、起業時点では生きることが精いっぱいで戦略などというものは考えていませんでした。今でこそ、ライバルはフリーソフトを公開している大学等の研究機関や、既存の分子・原子に関するシミュレーションをサポートする高額パッケージ販売している会社ということになりますが、そういうことが言えるようになるまで3年ほどの混乱を経験しています(ちなみにその間も増収増益を継続しています)。 最初の仕事は前職から引き継いだ月額10万円の東北大学のサーバの定期アップデートの案件のみでした。これでは1人も食うことができないので、とりあえず学部時代にアルバイトしていたITベンチャーの社長数名に何か仕事をくれと電話しまくったら、短期的にはサラリーマンよりはマシなお金が入ってきたのでそれで食いつなぎながら自社プロダクトを考えました。アルバイトを真面目にやって信用を得ていたのが良かったようです。リーマンショックの起きた2008年の年初に起業したので、翌年だったら外注はなかったかもしれずギリギリセーフでした。 今でも成功してるとは考えていませんが、ある程度仕事がインバウンドに入ってくる状態になるまでの苦労を話しますと、とりあえず食いつなぐための仕事、すなわち受託開発の仕事は常にあるわけではないのと、会社としての存在意義につながる独自プロダクトを見つけるまでの試行錯誤が大変でした。10個以上のアイデアを試して3つだけ売上が出て、2つだけ利益が出ているというのが実態です。プロダクトの1つであるアクセラレータを用いた量子化学計算の高速化ライブラリについては、その分野で世界先端を走っていた名古屋大学の准教授と連携することで製品化につなげております。まさしく産学連携です。その先生とは面識はなかったのですが、先生の論文を読みつつ自社内で開発し、その上で教えを乞うというステップを踏んだから得られた信用であって、ポスター発表や講演などで話させてもらうことで技術力がアピールできましたし、主に製薬会社との取引につながりました。 他、農学部の先輩が仕事も客もセットで持ち込むので事務作業だけ頼みたいとかいうので取締役で入れてみたら、最初は仕事があまりうまくいかず、最終的には収益事業になりましたが、先輩なのであまり意見をいいづらいというのも手伝って精神的に相当に疲弊しました。おかげで鍛えられたのもあるし、今ではいい思い出です。 現時点でこれからのビジョンを掲げるとすると「自然科学の計算を通じた社会貢献」ですね。それからぶれないようにしつつ事業を拡大していこうと思っています。現状の弊社のプロダクトは3つありますが(分子モデリングソフトウェア、アクセラレータを用いた量子化学計算の高速化ライブラリ、屋外環境データ取得デバイス)いずれもこのビジョンを実現するための支援ツールです。 そもそも自社のメンバーのバックグラウンドは私を含め化学が多いですが、地球シミュレータで流体計算していた人間とか、農業土木and/or土壌物理系とか、電磁場解析してたメーカー顧問とか、元同僚は遺伝子データの統計解析していた人など様々で、共通言語がITであるというだけで、自然科学を扱いたいという思いは暗黙に共有していて会社がハブになっている気がします。創業時メンバー以外は、大手石油メーカーを定年退職して分子モデリングソフトウェアを趣味で開発していた人、大手システムインテグレータで分子シミュレーションソフトを設計・コンサルティングしていた人も途中で加わり、シニアと若い世代の融合も起こっています。 個別案件を棚卸すると、分子・原子のシミュレーション関連の開発が多いですが、某海洋系国研のデータ同化(数値モデルと観測データの補完技法)とか、某ジェットエンジンの重工メーカーのデータセンシングとか、某宇宙系国研の近隣国から流れてくる某微小粒子状物質の関連データ精緻化とか、元同僚が専門の次世代シーケンサを用いた大規模遺伝子解析とか、これらはシミュレーションではなくデータ解析なわけですが、演算という点では共通ですし、化学とは限りません。とはいえ、分子・原子のシミュレーションは宇宙以外をすべて扱えるので(流体力学は広義の古典の分子シミュレーションの枠組みでとらえています)分子・原子をメインに扱うことで上位互換というか、かなり広範に扱えるという主張もできるような気がします。 一見関係なさそうな流行りの遺伝子解析も、実は2万強しかない遺伝子だけでは説明できず後天的な環境刺激を細胞膜の化学反応にまでおとしこむと量子化学計算での扱いになります。上のビジョンを具現化していくためには(スーパー)コンピュータがより速くなっていくことが重要で、それは既にムーアの法則が示すように社外環境が後押ししてくれていますので、時間がたてばたつほどボトルネックはアイデアとユーザビリティの部分になり、ユーザビリティの向上に集中すればいいわけです。 そもそも会社名のX−Abilityも能力をクロスするという思いでつけたわけで、様々な領域の人間が共通のビジョンに向かっていくことで結果的に領域がクロスされていき、イノベーションにつながっていくのではないかと期待しています。 最後までお読みいただきありがとうございました。 Mail: rkoga@x-ability.jp
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