イラン雑感
2010年1月
関根 泰
(1993年合成化学科卒)
(早稲田大学先進理工学部応用化学科 准教授)
イラン!? ニュースでは毎日のように目にする国ですが、実際に訪れた方は少ないかと思います。みなさんにとっては、昔、上野公園でテレホンカードを売っていた人、あるいは××の売人としてニュースで見かける、といった印象しかないかもしれません。
小職は石油・天然ガス関連のプロジェクトでイランを含めた中東へかなりの回数訪問しており(うちイランだけで10回程度)、イランという国をみなさんにも少し知っていただければと思い、とりとめのないイランにまつわるエトセトラを・・・
○イランという国
イランは天然ガス埋蔵量世界二位・原油生産量世界四位の資源大国です。また、中東に位置しますが、イランは高地にあり、比較的冷涼で、ペルシャと呼ばれています。一方でサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE・ドバイ国やアブダビ国で有名)、クウェートなどは低地の砂漠にあり酷暑(気温が40度を超えることもしばしば)で、アラブと呼ばれる地域に属します。イランはイスラム教を国教としており、シーア派がメインです(アラブはスンニ派が多い)。よって、イラン国内ではお酒を公の場で目にすることは決してありません。
○イランへの足
イランへは、イランエアという国営航空の直行便が週に二便あり、これは成田を出るとすぐに酒を飲めないため、虎にはつらい環境です。一般的な駐在・出張者は、かつてはフランクフルトなどヨーロッパ経由が多かったのですが、最近ではドバイ経由のエミレーツ航空、カタール経由のカタール航空で行く人が多いようです。エミレーツも、カタールも、最新鋭の機材と最高のサービスを売りにしており、いずれも関西を深夜にでるため時間のロスが少ないです。
一方で、イラン国内移動はイランエアに頼らざるを得ません。その際は727や707、フォッカー100といった骨董、ツポレフやイリューシンといったロシア勢が待っています(最近はまれにエアバスもあり)。イランエアには747、いわゆるジャンボもありますが、これはホメイニによる革命の前の米国との友好を保っていた頃のものなので、いつ×××か・・・わからないほど古いです。しかしながら、イランの技術者は熱心で、入手が困難な交換部品を自国内でどうにかやりくりして維持しています。
○首都テヘランとその交通事情
イランの首都はテヘラン、人口は1100万の大都市で、場所により標高は1000mを超えます。周囲を富士山より高い4000-5000m級の山々(エルブールズ山脈、ダマバンド山)に囲まれ、窓からは年中雪を抱いた美しい山々が、「朝だけ」のぞむことができます。なぜ朝だけか。実はテヘラン市内だけで車が数百万台走っており、坂が多いテヘランではほとんど唯一の交通手段です。地下鉄はあるものの、あまり用をなしません。朝晩はもちろんのこと、深夜から早朝、昼間と、年中市内は渋滞しています。車はペイカンというイラン製の車が主でしたが、ここ数年でかなりプジョーとキア(韓国)に置き換わりました。しかしながら、石油精製能力が需要に比して低く、ガソリンは未だに輸入の有鉛であり、盆地のテヘランは午後からどんよりした排気ガスに覆われてしまうのです。テヘランは高地にあるため空気が薄く、また乾燥しています(ほとんど飛行機のキャビン内と同じ気圧と湿度です)が、この排気ガスが輪をかけて肺を直撃、なれない我々は夕方にはいつも気分が悪くなります。
○食事と酒
イランはイスラム国家、当然豚は食べません。また、鳥はハラルという宗教的処理をした(首を「バサッ」とやって血を抜いて殺す)ものしか食べません。主たる食事は羊とハラル鳥、たまに魚、それに自国内でふんだんにとれる野菜になります。肉はほとんどがケバブといわれる焼き鳥状の串焼き、野菜は焼きトマトと生野菜サラダがメインです。ぱさぱさのサフランライスとナンを毎食食べます。イスラム国家の中でも戒律に厳しい国のため、酒は御法度、食事の時にはコーラかオレンジジュース、あるいは水を飲みます。コーラはZAMZAMとPARSIの二種類がメジャーな銘柄で、前者は革命前のコカコーラ、後者は同ペプシとなっています。(今は資本的つながりはありませんし、味も違います)
我々がとある飲み物に飢えたときはどうするか、答えは一つ、商社のゲストハウスか大使のところにお世話になるしかありません。商社は圧倒的にイランに強い某社さんと、旧来強かった某社さんがメインです。それぞれテヘラン市内に城のようなゲストハウスを構えています。内部には日本人コックがおり、日本から取り寄せた食材とトルコから取り寄せた飲み物がふんだんに振る舞われます。いずれも高い塀と厳重な扉に囲まれ、別世界を形成しています。
○食後の楽しみ
食事が終わった後、イランの方々はチャイ(紅茶)と水タバコを楽しみます。夕食の場合、食事に1時間半くらい、さらにその後、チャイと水タバコで1時間くらい雑談するのは当たり前です。彼らは本当に議論が好きな人種で、小さな買い物であろうが何であろうがとにかく長いこと話し込みます。
○身だしなみ
イランの男性は、かなりの方が立派なひげを蓄えています。これは男の象徴のようです。また、男性はスーツにシャツ、ノータイが正装です。女性はチャードルという黒い着ぐるみのようなものを着るか、頭だけ赤ずきんちゃんのようにスカーフ(ヘジャブ)を巻きます。男女ともに肌を見せることはタブーで、ミニスカートや短パンは厳禁です。
○文化と歴史
イランは古くから洋の東西を結ぶ重要な結節点にあり、ペルシャ商人としてそのしたたかさは昔から有名なようです。 南部のシラーズという街のそばには、ペルセポリスという世界遺産になっている遺跡があります。ここは紀元前500年頃、インドから北部アフリカ、南部ヨーロッパまでをすべて支配していたダリウス王のペルシャ帝国の都です。非常に見応えのある遺跡です。
ほかに、同じく世界遺産となっているイスファハンという大きな都市が有名です。ここは、100年程度前まではイランの中心でした。テヘランはそのころまでは小さな村だったようです。
○人間性
イラン人というと、昔上野公園でテレホンカードを売っていた姿を思い浮かべる方が多いと思いますが、実はかなり偏ったイメージです。イランはペルシャ、イラクやサウジなどはアラブであり、前者は高地、後者は低地の砂漠、という背景の違いもあり、イラン人は一般的に非常に誇り高く、また皆高い文化レベルを有しています。彼らペルシャ人は、アラブ人のことを「酷暑の砂漠のオアシスで、インド人などをこき使ってオイルマネーという不労所得を稼ぐひと」、とさげすんでいます。イラン人は清潔好きで、二面性があり、ウェットで、駆け引きがうまく、簡単にYesとは言いません。一方で、ペルシャ絨毯にちゃぶ台を置いて靴を脱いで家族でご飯を食べ、テレビでは未だに「おしん」が繰り返し放送されて、みなあのウェットな世界に涙するなど、我々にも理解しやすい部分が数多くあります。そのため、彼らは非常に親日的で、アメリカと断交していることもあり、日本を大事に思ってくれています。2003年に最初にテヘランの空港に着いたとき、旧空港(メーラバード)のショーケースに当時の「ナショナル」の掃除機が飾られ、掃除機本体に金箔の大きな文字でMade in JAPANと書いてあったのには笑えました。日本製とドイツ製は彼らにとって高嶺の花です。
○ホテル
観光客はあまり多くありません。そのため、ホテルも数は限られています。我々は市内でもっとも高級とされているエステグラールホテル(革命前のヒルトンらしい)にいつも泊まりますが、未だに部屋にはインターネットやポット、ミニバーといったしゃれたものはなかなかありません。ただ、部屋はこぎれいでこざっぱりしており、風呂場のお湯もしっかり出ます。ロシアの地方よりはよっぽどましです。フロント周りはつねに石油商人とおぼしき人たちが深夜早朝でも数多く待ち合わせでごった返しています。
○買い物とレストラン
市内にはこれでもかと言うほどの店舗があふれ、しかしそのほとんどは「しmnへn」のようなペルシャ文字(右から書く)しかないため、我々に縁はありません。店内の値札も、車のナンバーも、数字は皆ペルシャ数字(なぜかペルシャ数字だけは左から書く)で、判読には時間がかかります。ほとんどの店舗、ホテル、レストランは、二重価格をしいており、我々海外からの異邦人はヨーロッパ並みの価格を払わざるを得ません。(地元民価格に比べ3-10倍くらい高い。)レストランはあれだけの巨大なテヘラン市内に和食がたった一件あります。しかし、そこですしを食べるのはかなりの勇者との評判です。我々は数少ない中華や、インド料理にあしげく通います。名産はなんと言ってもペルシャ絨毯、これはシルク製だと足ふきマット程度で5万円、ちょっとしたテーブルの下に敷こうと思うとン十万円です。ほかにピスタチオ、キャビア、バラ水、寄木細工などが有名です。キャビアは北部のカスピ海にいるベルーガ種のチョウザメが有名で、成熟に20年近くかかりやっと抱卵したところを捕獲するため、非常に貴重で高価、しかしながら美味の極地です。
○最後に
ここまで駄文におつきあいいただきありがとうございました。なかなか個人旅行で訪れる機会のないイランですが、悠久の歴史が織りなす文化の奥深さ、誇り高くも人情味厚いイラン(ペルシャ)の人々を気に入ってしまうと、虜になる人も多いようです。駐在の方などで、帰りたがらず延長される方がかなりいたのには驚きました。皆様も機会があれば是非訪れてみて下さい。
以上とりとめのないイラン雑感でした。