人は誰でも自信ゼロから出発する

2010年1月
瀬田重敏
(1960年化学工学科卒)

 200812月、「企業人は今後どうありたいか」と題して、東大工学部化学生命系の学部4年生および修士課程1年生、約70名を対象に約1時間半話をしたが、200912月、今度は慶応義塾大学工学部システムデザイン科の2年生約100人を対象に、同じ表題で講義をした。但し、今回は同じ表題でも、これから何年か後に就職試験を受けて社会人になろうとする若い人々に、今から考えておいてほしいこと、という内容の話にしたのである。東大の時と違って、学部2年生といえばまだ就職など先の話、という感じかもしれない、と思ったがそれは大違いで、実に真剣に私の話に聞き入ってくれた。

私が話した内容は、大略以下の通りである。

1.君たちにとって卒業後の話はまだ早いかもしれないが、これからの人生設計の参考に、2つの話をしたい。
(イ)君たちが会社に入ったら、どんなことが求められるか?
(ロ)そうした中で、君たちが自分の存在感を構築してゆくにはどうしたらよいか?

 実はこれから述べることは、就職するも大学に残るも、家業を継ぐも本質的には共通する。

2.この厳しい就職氷河期の中、せっかく入った会社を1-2年で辞めてゆく人も少なくない。その理由として考えられるのは、@入ってみて自分のイメージと違いすぎた、自分に合わない、A大学に戻りたい、その他、B叱られてショック、もうだめ、Cなんとなく、D地方転勤や海外勤務を命ぜられた、などがあろうが、BDで辞めるようでははじめから企業など目指さない方がよい。企業も迷惑だ。問題は@、ミスマッチングが原因の退職であり、そうしたことが起きるのは学生が会社のことを知らないことにあると思われる。「そんなことを誰も教えてくれなかった」と後になって思うことのないようにしたいのだ。

3.就職の面接試験に行くとまず聞かれるのは、「どうしてこの会社に入りたいと思ったか」、「この会社に入って何をしたいか」の2つだろう。ところが普通の学生はそもそも会社とはどういうところかについて知る機会に乏しい。従って、上のような質問に、満足して貰える答えができるわけがない。しかし実は、まともな面接者ならそんなことはわかっていて、もともと完璧な答えなど期待していない。むしろ面接者が聞こうとしているのは「君の言うことの何が新しいか」、すなわち君が『人の見ないところを見ようとしているか、人の気付かないことを気づこうとする努力をしているか』、というところを見ているのだ。実はこれは入社試験だけではない、これからの人生のあらゆる局面でそれが試される。それに応えるには訓練しかない。就活の時期になって慌ててやっても駄目、今から訓練し未来の企業人として自分を磨くことが大事。学生生活はそのためにあると知れ。

.会社の面接試験で、上記2つの質問に対して的を射た答えを用意するためには、まず企業は何を君に求めるか、そこから考えるのが肝要だ。

.企業とは、利潤の追求を目的とし、最小の費用で最大の効果を上げるのが経済原理、その基本となるのが生産3要素(土地、資本、労働)、とされているが、これは経済学からの視点。実際に企業に身を置いた者の実感はいささか違う。
 「確かに企業の最終目的は利潤の追求だが、それだけではない。技術革新の担い手、技術者集団としての社会的責任に基づく志と誇り。企業は何よりも人の集団で社会的存在だ。社会的存在とは、ステークホルダー(利害関係者)が存在すること。それに事業はライフサイクルがあるから、企業が社会的存在として存続してゆくには常に自己改革していかなければならず、その求められる改革速度は25%/年にも上る。企業をとりまく環境は常に変化してゆくから、どんな企業といえども、現状維持では存続できない、そういう存在である」というのが実態だ。

.どの産業でも企業の国際競争力の主役となる重要職務は時代とともに変化する。成功した企業ではそうした新しい主役職務が未来観を持つ「強い個人」たちによって築かれてきた。これからの世に求められるのは強い個人が役割分担し、その仕組みを自己革新してゆく集団としての総合力だろう。

.そうした中で君たちが企業で求められる「強い個人」となるために、どうしても身につけなければならないことがある。それは次のようなものだ、@人間としての素養と感性、A実務を理解習得できる基礎知識・科学的思考法そして法令知識、B哲学・モラル・倫理、C自分と自分の仕事に対する将来ビジョン、そしてDリスク意識(危機管理)

.例えば、自国の歴史への認識、自然とのふれあい、工学の原点、という視点で見て、君はどのような認識を持っているか。企業と個人のリスクについてどのような認識を持っているか。小さな予兆を見逃さないリスク意識を持とうとしているか。その企業のものづくりは本当に人を幸せにしているか、そういった疑問を持ったことがあるか。そういうことが求められるのだ。

.そうした中で君たち自身の存在感を高めてゆくにはどうしたらよいか。誰でも始めは自信ゼロから出発する。自信というものは努力とともに芽生え、時に傷つき、失ってまた新たな努力によって取り戻す、そうして築いてゆくものだ。

10.強い個人の集団の1人となる第1の要件は、人のやらないことを見つけてその第一人者になることが肝要だ。漠然と考えるだけでは実現しない。私の知る限りでもいろいろな例がある。

11.強い個人の集団の1人となるための第二の要件はリスクに対する備え。その最大の武器は正面を見つめる勇気。問題はどうやってその勇気を出すか。それには先人の知恵があるし、みなそれなりに工夫するのだ。

 以上のようなことを、私が遭遇した具体的な例をいくつか挙げながら話をした。そしてこういうことを考えるためにこそ君たちの学生生活の意義があるのだ、無駄に過ごしてはならないよ、と締めくくった。

 以上の話に対して学生たちが示した反応が想定外のものであった。
 授業終了後の報告文には「就職は先のことだが、いずれ来るもの。先輩たちを見ていると他人ごとには思えない。それらについて具体例を示し、考え方を教えるから今から考え訓練しておけという、企業に永く身を置いた人の話は新鮮だった。」「人は誰でも自信ゼロから出発するという言葉には励まされた」というものが多かったのである。

 これからの社会について云えることは少なくとも2つあるだろう。
 1つは均質な社会はその平均値が高い間は強みだったが、それもある時期までのこと、これからは平均値が高くても均質であること自体が弱みになる。これからの企業に求められるのは総合力であり、総合力に求められるのは1人1人の『個性を持った強い個人』である。その「強い個人」は「人の見ないところを見る、人が考えないところを考える」自己認識から生まれ、それは訓練によって実現できる。そうした努力を内面から支えるのが「人は誰でも自信ゼロから出発する」というごく普通の思いである。

 2つ目は、今就職氷河期に直面する若い人々の苦しみと絶望は、それを売り手市場で突破できる少数の人々、あるいは幸いにして「氷河期」を通り過ぎた年長の人々の上にも、巡り巡って結局降りかかってくる重い苦難となるだろうこと、つまり就職氷河期はひとごとではないということだ。
 少し前の世代となら十分に戦えた力を持ちながら不幸にして「氷河期」に当たったために創造的な仕事の機会に恵まれない人々、今は不十分でもいつか伸びる可能性を持っているのにそれが発揮できない境遇に陥ってしまった人々、新卒で就職できないため、あるいはせっかく就職したがミスマッチのために辞めざるを得なくなり結果として過年度の不利を被らざるを得ない人々、そういう若い人々がたくさん生まれて自分たちだけが幸せでいられるわけがない。われわれは同じボートに乗っているのであり、彼らを力づけ、社会全体の問題として底上げしていかなければ、日本の社会というカプセルの中にいるわれわれの将来もないのだ、と考えなければならない。

 学士就職でも2年後、修士なら4年先のことにも関わらず、本当に真剣に話を聞いてくれた慶応の学生たち。彼ら100人の感想文を読んで、痛切にそう思ったのであった。

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